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Posts Tagged ‘足利市’

日本最古の学校 国指定史跡 足利学校

Posted by これトチ! : 2014年4月24日

みなさんこんにちは、これトチ!です。

今回は足利市にある足利學校(以下足利学校)のご紹介です。きっと皆さんの中にも、社会科の授業で「日本最古の学校」「坂東(ばんどう)の大学」と学んだ記憶がある方も多いのではないでしょうか。

こちらが足利学校の全体景観です。昭和57年より「史跡足利学校跡保存整備事業」によって、平成2年に江戸中期の姿へ復原されました。ここで多くの学生の方が学ばれたのです。

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では、皆さんもこれトチ!取材陣と一緒に足利学校へ入学(参観)してみましょう。

まず私たちを迎えてくれるのは、「三門」のひとつ「入徳門」です。かつての学生の方々は、どのような想いでこの門をくぐったのでしょう。

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足利学校では入場券の代わりに、入学証が発行されます。裏面には入学記念のスタンプが押せるようになっています。

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今回貴重なお話をしてくださった、研究員 歴史学博士の市橋一郎先生です。

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市橋先生より、足利学校の歴史や復原までの道のり等をご教授いただきました。

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足利学校について社会科の教科書に掲載されていますが、意外と“謎”に包まれている事が多いそうです。足利学校最大の謎!!それは、「“いつ”“誰が”“どこ”に建てたのか」いまだにハッキリわかっていないそうなんです!!創建についていくつかの説がありますが、有力な3つの説をご紹介いたします。

1.国学遺制(こくがくいせい)説(奈良時代)
古代律令制度において、都に大学、地方に国学を置くとあり、この下野国(現在の栃木県)にも国学施設があったと言われています。その遺制が足利学校になったという説

2.小野篁(おののたかむら)説(平安時代)
学校伝来の易(占いの方法)は小野流であるとされていることから、平安時代前期の漢学者・歌人の小野篁が創建したという説

3.足利義兼(あしかがよしかね)創建説(鎌倉時代)
足利に拠点を持っていた足利源氏2代目足利義兼が、子弟を教育する学問所を作ったのが足利学校になったとする説

足利学校の歴史がハッキリ明らかになるのは、上杉憲実(うえすぎのりざね)が現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ=校長)制度を設け、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興した室町時代(1439年)の頃からとの事です。

“謎”に包まれた創建…歴史のロマンを感じますね!!
歴史の紐はまだまだ長く強く奥深く…、更に歴史を知りたい・学びたいとワクワク・ドキドキ。訪れるタイミングが合えば、ボランティアガイド協会のみなさんが無料の「足利学校案内」をしてくださるそうです。詳しくは足利市観光協会(電話:0284-43-3000)へお問い合わせください。

では、更に学校内へ歩みを進めてみましょう。
儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた「孔子」が鎮座しております。足利学校では、儒学のテキストである『四書五経』を中心とした教育内容だったことが有名です。

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『四書五経』の中の一つに『論語』があります。「はて?論語ってどんなもの?」と、馴染みのない方もいらっしゃると思います。論語の中でも、有名な一節をご紹介いたします。

子曰わく、吾十有五(われじゅうゆうご)にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順(みみした)がう、
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。

(訳)
先生が言われた。「私は十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持って、四十になってあれこれ迷わず、
五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばが素直に聞かれ、
七十になると思うままに振舞ってそれでも道を外れないようになった。」
岩波文庫『論語 巻第一 為政第二』

第2の門「学校門」が見えてまいりました。
この門、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。社会科の教科書に掲載されていましたよね。足利学校の象徴的な門となっています。

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足利学校の中には、面白い木があるんです。字降松(かなふりまつ)です。

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読めない字や意味の解らない言葉などを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、「字降松」(かなふりまつ)と呼ばれるようになったと伝えられています。学生だけではなく、近所の方も利用していたそうです。勉強熱心な方が多かったんですね。

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そして、第3の門「杏壇門」(きょうだんもん)です。

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この門の奥には、孔子を祀ってある「大成殿」(たいせいでん)があります。

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現在残っている日本最古の「大成殿」です。孔子坐像や小野篁(おののたかむら)像が安置されています。ここでは、1907年(明治40年)から続いている釋奠(せきてん)が執り行われています。釋奠は、孔子とその弟子をまつる儀式で、この言葉には「供え物を置く」という意味があるそうです。現在も毎年11月23日に執り行われています。

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足利市では、釋奠に合わせ足利学校と周辺で「足利学校さままつり」として、漢字段位試験、手打ちそばの販売、骨董市、手織り体験などの各種イベントを開催して多くの方々に楽しまれているんですよ!!

ではここから江戸中期の姿へ復原されたエリアをご紹介します。
ここでちょこっとトリビア!
文化財(建造物)の分野で、“ふくげん”には「復原」と「復元」があるそうです。
違いは、
復原…旧部材や文献等が残っており根拠が確かな場合
復元…推測が一部含む場合
足利学校は文献等の根拠に基づいて“ふくげん”したので、「復原」を使用しているんだそうです。

この建物は、足利学校の中で一番存在感のある「方丈」(ほうじょう)です。非常に立派な寄棟造りの茅葺き屋根で、落ち着きのある雰囲気が心を静めてくれます。この建物は、学生の講義や学習・学校行事などに使用されました。

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おや!?方丈の入り口に不思議なものが…これはなんでしょう。

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これは、「宥座の器」(ゆうざのき)といいます。孔子の教え「中庸」(ちゅうよう)をわかりやすく教える物です。
中央の器には水が入っていません。空の時には傾き、ちょうど良い時にはまっすぐに立ち、水をいっぱい入れるとこぼれる仕掛けになっています。孔子は、これで「いっぱいに満ちて覆らないものは無い」と慢心や無理を戒めたそうです。

これは、やってみなくては!!早速チャレンジです。

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おぉ~、いい具合に器がまっすぐに立ってきました。

が、ちょっと水を入れすぎると…器が傾きザッバァ~と水がこぼれてしまいました。

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「あぁ~!!」と取材陣から一斉に声が…。
やはり“過ぎたるは猶及ばざるが如し”なんですね。わかり易く、なるほど!!と実感です。

また、方丈の中では自主学習をすることもできます。

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足利学校の学生は全国から集まり、誰にでも門戸が開かれていたそうです。学生の多くは、お坊さんでした。お坊さん以外の人には、お坊さんの学生名がつけられたそうです。そして足利学校は、自学自習だったので自分の学びたい学問が終わったら生徒は帰って行ったそうです。ですから、長い人では10年以上、短い人では1日の在学だったようです。自分自身で納得するまで学んだら卒業したのです。更に、学生が学費を払ったという記録はないそうです。逆に学校側が食事と宿舎を提供していたという記録があります。
「学びたい」という志の高い人たちが集まり、それをバックアップする体制が整っていたんですね。

足利学校の最盛期は、室町時代(1551年頃)です。学生数は3000人と記録される程です。この頃の足利学校の様子を、キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエル「日本国中最も大にして最も有名な坂東(ばんどう)のアカデミー(坂東の大学)」と記し、足利学校は海外にまでその名が伝えられました

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この他にも、歴史的に貴重な資料が沢山展示されています。

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ここで、足利学校史跡内の全体MAPをご覧ください。

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<出典:足利学校ホームページより>
多くの歴史ある建物がギュッと詰まっています。

<庫裡>(くり)
学校の台所。食堂など日常生活が行われた所です。

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<書院>
庠主(しょうしゅ=校長)の書斎。ここで、学生に個人教授が行われていました。現在では、足利の秋の風物詩、曝書(ばくしょ=虫干し)が行われています。

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<衆寮>(しゅりょう)
学生が勉強・生活したところです。

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ご案内いただいた市橋先生(写真中央)と今回の『これトチ!」取材陣です。

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この他にも、まだまだご紹介しきれない足利学校の魅力が沢山あります。残りはぜひ足を運んで、脈々と流れ受け継がれてきた歴史と“学び”に集った人々の想いを味わってください。
足利学校では、百人一首かるた会や、お茶席、日曜論語素読体験(不定期)など年間を通して数多くの講座やイベントを開催しています。イベント情報は、足利学校ホームページや、史跡足利学校事務所へお問い合わせくださいませ。

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≪施設情報≫

史跡足利学校(事務所)
住所 足利市昌平町2338
電話 0284-41-2655
ホームページ  http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/

○参観案内
参観料(消費税を含んでいます  ※平成26年4月以降)
個人一般 420円、団体(20人以上) 340円
高校生個人 210円、高校生団体(20人以上) 170円
※中学生以下、身体障がい者は無料です。
※Suica(スイカ)、PASMO(パスモ)が利用できます。

○受付時間、休館日
4月~9月  : 午前9時~午後4時30分
10月~3月 : 午前9時~午後4時

○休館日
第3月曜日(祝日・振替休日のときは翌日)
年末(12月29日~12月31日)
※管理上やむを得ず休館することがあります

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≪推薦者情報≫

「史跡足利学校」をご推薦していただいたのは、株式会社村上の村上龍也さんです。

≪村上さんからの推薦コメント≫

推薦者 村上 龍也日本最古の学校として世界的に有名な「史跡足利学校」は 私たち栃木県を代表する
文化遺産です。中世以降、徳川江戸幕府から明治時代の初めまでの日本の中枢を創り、
現在の日本人の心とも言える「儒学」を重んじてきた足利学校を知ることは、日本の
心に触れることとなります。この学校で先人たちは何を学び、何を大切にしてきたのか。
もしかすると、それは今の私たちが忘れかけているものかも知れません。今だからこそ、
海外のお客様にも私たち自身も、是非たくさんの方々に触れていただきたいと思います。
古都「足利」の風情ある街並みを散歩しながらの皆様のお越しをお待ちしております。

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≪取材情報≫

取材日:2014年2月21日(金)
取材者:村上・浅沼・内藤・吉澤・松﨑

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