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近代化遺産のホフマン窯があった!

Posted by これトチ! : 2012年5月7日


みなさんこんにちは、これトチ!です。

栃木県に、近代化遺産で国指定重要文化財があるのをご存知ですか?

(「近代化遺産」とは、日本の近代化に貢献した産業・交通・土木の遺産の総称。全国各地に近代化遺産は現存しており、国指定重要文化財に指定されていますが、多くはその指定が平成に入ってからなのに対し、野木町煉瓦釜は昭和54年の指定と近代化遺産としては飛びぬけて古い指定となっています。)

県南に位置する、下都賀郡野木町にある「野木町煉瓦窯(旧下野煉化製造会社煉瓦窯)」です。 

今回は野木町役場の方に、詳しいお話をお聞きしました。

(野木町教育委員会事務局 生涯学習課 生涯学習係 主査 鈴木 一範様)

煉瓦窯とは?

煉瓦窯とは、明治維新を迎えた日本で欧米文物の導入が始まり、近代建造物の需要が拡大していきました。このような時代の中、日本の近代化に貢献すべく「赤煉瓦」の製造を行っていたのが、この野木町煉瓦窯(旧下野煉化製造会社煉瓦窯)」です。(噂ですが、東京駅の煉瓦や立教大学の教会はこの窯の煉瓦を使用しているようです)

この煉瓦窯はホフマン窯(ホフマン式輪窯)と呼ばれるるものです。

ホフマン窯は煉瓦を焼くための施設のことです。ホフマン式輪窯とも呼ばれています。ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffmann)が考案し、1858年に特許を取得しました。

通常の煉瓦窯では、焼成前の(生の)煉瓦を入れて焼きあげ、熱が下がってから煉瓦を取り出し、また生の煉瓦を入れ…といった工程で、火を点けて消し、を繰り返すことになります。ホフマン窯では、窯を環状(円形、楕円形等)に配置して、連続して煉瓦を製造できるようにしたものです。窯の内部に生の煉瓦を積み重ね、上部からコークスを入れて焼成します。一つの区画で焼き上がると、また次の区画に火を移して焼成を繰り返して行います。こうした連続工程により煉瓦の大量生産ができるようになったそうです。

明治初期の銀座煉瓦街建設の際、お雇い外国人トーマス・ウォートルスが小菅にホフマン窯2基を設け、大量の煉瓦を製造しました。以後、各地に建設され、日本の近代化を支えてきました。昭和26年には、全国で50基存在していたと言われますが、現在稼働しているものはありません。よく遺構が残っているのは以下の4基ほどで、貴重な遺構になっています。

  • 栃木県下都賀郡野木町 野木町煉瓦窯(旧下野煉化製造会社煉瓦窯) 重要文化財

  • 埼玉県深谷市 日本煉瓦製造会社旧煉瓦製造施設ホフマン輪窯六号窯  重要文化財

  • 京都府舞鶴市 神崎コンクリート株式会社旧煉瓦窯  登録文化財

  • 滋賀県近江八幡市 旧中川煉瓦製造所ホフマン窯  登録文化財

ホフマン窯は最初、円形でした。しかし、上記4基のうち、野木町煉瓦窯を除く3基は、長方形あるいは楕円形をしています。これは、ホフマン窯の発展形で、1つの窯の生産性を上げるためと、円形では外側に積まれた煉瓦と内側に積まれた煉瓦に焼きムラが出来るため、それをなくすために、直線部分を長くしたためだと言われています。過去に日本で確認されたものは野木町煉瓦窯の他には小菅集治監(現東京拘置所)の窯のみですが、その窯も現存していません。野木町煉瓦窯は、日本で唯一、世界でも数少ないホフマン窯のプロトタイプであると言えます。明治23年6月に建築されており、関東大震災や太平洋戦争等の苦難も乗り越え、現在に至っております。(ただ、現在残っている建物は、当時3つあった窯の1つだけ。他に素地製造場もあったそうです。窯が1つほとんど当時のままで残っているのは、奇跡だそうです。)

すごい建物が栃木県にはあったのです!!

おまけにこのホフマン窯は形が16角形で、非常に美しいのです。屋根・煙突が完全に残っているものは日本では他にはないそうです。

何故この野木町に窯ができたのですか?

良質の原料が近くから採取できたためです。粘土は現在の渡良瀬遊水地から、また砂は思川から採取できました。出来上がった製品は川を使って船で運ばれたり、鉄道で運ばれたりしたそうです。現在、この煉瓦窯は保存修理工事をするための囲いに覆われています。

老朽化により崩壊(東日本大震災の影響も受け)の危険性が大きく、至急修理工事の必要があるそうです。しかし、その工事には多額の費用がかかり、また、その後の維持管理費用(将来的には周りも整備し、公園等にする案があるそうです)も発生するため、小さな町・野木町には大きな負担になってしまうそうです。

そこで、全国に募金や寄付をお願いし、ようやく修理のめどが立ったそうです。

修理が終わるまで中を見ることはできませんが、7月に行われる野木町主催の「ひまわりフェスティバル」(野木町のあちらこちらにひまわり畑ができます。とても綺麗でお花を見ていると元気がでます。)中には、工事の囲いの中へ入り、見学ができるようにしたいとのことです。楽しみです!(修理完了予定は平成26年3月とのことです)

青空に映える煉瓦窯見てみたいですね♪

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《ホフマン窯情報》

住 所:下都賀郡野木町野木3324

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《推薦者情報》

野木町のホフマン窯を推薦してくださったのは、株式会社花のギフト社の益子ひろみさんです。

《益子さんの推薦コメント》

私の会社は野木町の隣町(間々田)にありますが、実は、この煉瓦窯の存在を知ったのはつい最近でした。民放のテレビに取り上げられていたのがきっかけです。放送後調べてみたら、歴史的にすばらしい文化財であることが分かり、皆さんにこの煉瓦窯のことを話すようになりました。江戸から明治に変わり、近代化・西洋文化のロマンが感じられる建物です。ぜひ、一度ご覧ください。

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《取材情報》

取材日 : 平成24年2月6日(月)

取材者 :  益子・大西・三和・松﨑

コメント / トラックバック2件 to “近代化遺産のホフマン窯があった!”

  1. 小野 章 said

    ホフマン窯の記事を見ました。赤煉瓦倶楽部舞鶴の小野と申します。当地にもホフマン窯があり保存に努めています。
    さて、記事の中のHOFFMANはHOFFMANNに訂正いただきたく思います。ウィキペヂアの「ホフマン窯」内の誤植により
    Nが一つの綴りが日本国内に広まり困っています。なお米国人俳優のD・ホフマンはNひとつのようです。
    以上、宜しくお願いします。

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